みなさんこんにちは!
おやじ情報です。
少しでも中里若宮八幡宮について知っていただければ幸いです。
中里若宮八幡宮って?
寛永六年 (一六二九) 第二代彦根藩主となっていた井伊直孝は、自分の生まれた故郷が中里と知り、中里に若宮八幡宮を再建したそうです。
若宮八幡宮は井伊家の氏神であり、その史実は若宮八幡宮に残る松花堂昭乗の書による棟札 (焼津市指定文化財) に記されています。
井伊直孝って?
井伊直孝 (一五九〇年~一六五九年) は徳川幕府の政治を主導した江戸時代前期の大名です。
徳川家康、秀忠、家光といった歴代の将軍から大きな信頼を得て、後に徳川氏譜代大名のなかでは最も広い領土を与えられました。
井伊直孝の出生と産湯の井
井伊直孝の父直孝の父直政は、徳川家に仕える大名で、徳川四天王の一人と称えられた人物です。
あるとき、直政は東海道を通った時、岡部宿本陣へ泊まったそうです。
そこで中里に住む娘が、直政の身の回りのお世話をすることになったそうで、この娘が美人だったのか、直政のタイプだったのか定かではありませんが、気に入り、娘は男の子を出産。
井伊直孝の誕生です。
出産の時の産湯を汲んだのが、若宮八幡宮の近くにある井戸 (井伊直孝 産湯の井) です。
娘大活躍ですね。
もし、この娘がいなっかたら中里に若宮八幡宮はなかったかもしれないですね。
ありがとう!
*井伊直孝の出生については諸説あるそうです。是非、娘さん説でお願いします。
井伊直孝と井伊直虎、直弼の関係
遠江井伊谷の女領主として有名な井伊直虎は、井伊直孝と面識はないそうですが祖母にあたるそうです。
また幕末の大老で有名な井伊直弼も井伊直孝の子孫なのだそうです。
若宮八幡宮の石橋
天保六(一八三五)年に架設された橋です。
全て石製でできていてアーチ型の4枚の板石からなっています。
親柱には架設年や関わった者の氏名が彫り込まれています。
架設年代が、はっきりした江戸時代の石橋が現在も現役で使用されていることは、大変貴重です。
全然知らずに渡っていました。
アーチ型っていう事は、アーチ型に石を削って、しかも全部均等にしてってすごい技術ですね。
職人魂を感じます。
それと写真にも写っていますが石橋の下は側溝になっているのですが、側溝の壁が石垣になっているんですよ。
細かいですねぇ~。
ちなみに、石垣の隙間にカニが住み着いています。
小さい頃石垣に住むカニを捕ろうとしたのですが、すぐ石垣の隙間に入ってしまい全然捕れませんでした。
若宮八幡宮での思い出!
若宮八幡宮は、夜は真っ暗で恰好の肝試しスポットでした。
小学生の時、友達と肝試しをやろうという事になり、子供達だけでは危ないので、友達がお母さんを連れて来てくれました。
そして、その友達のお母さんから聞いた話で、友達のお母さんが子供の頃、若宮八幡宮で肝試しをしていたそうで、若宮八幡宮には正面の社の後ろに小さい社があります。
そこに懐中電灯を置いてくるという決まりだったそうで、社に懐中電灯を置こうとしたら何か小さい物が置いてある。暗くて見づらいので懐中電灯で照らして見たら小さい目でした。
叫ぼうとした瞬間!
ザッと猫が出てきました。
可愛いかったので少し安心したが何か変だ!
何だ?何だ?
猫の目が黒い!
懐中電灯で猫の顔を照らすとなんと目がありませんでした!
ぎゃぁ〜とそのまま家に帰ったそうです。
この話を聞いて、子供ながらにとても怖かったいい思い出です。
井伊直孝縁の焼津市中里若宮八幡宮をご紹介!!(まとめ)
小さい頃から親しみのある若宮八幡宮に、こんなに歴史があるとは知りませんでした。
そして、今でも井伊家と中里若宮八幡宮は関係が続いてるそうです。
地元の誇り、焼津の誇り!!