みなさんこんにちは!
おやじ情報です。
今回は、徳川家康ゆかりの田中城跡に行ってきました!
田中城は、天守は無いものの形状が珍しい円形になっています。
そして、住宅街には土塁やお堀、田中城に水を送っていた池が残っていたりとワクワクドキドキさせてくれます!
さぁ〜田中城へレッツゴー!!
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田中城って?
駿河国今川氏によって、徳一色城(戸久一色城)が築かれたのが最初です。
ですが、武田氏による駿河侵攻により武田氏に攻略されました。
武田氏によって三重の堀、三日月堀(馬出し曲輪)をもつ田中城の原形が築かれましたが、徳川軍に攻められ、7年間にわたる4度の攻防の末、徳川氏に明け渡しました。
徳川の時代、城主が酒井忠利の時に拡張工事により、四重の堀に囲まれた田中城が完成しました。
それから、城主は短期間で交代しましたが、最終的には本多家に定着して、7代にわたって代々受け継いだそうです。
ちなみに私の祖母の家系が、本多家の家来の家系だそうです。
もっとしっかり話を聞くべきでした。
残念!!
田中城の名付け親!
元は、駿河国今川氏の徳一色城(戸久一色城)でしたが武田氏に攻略されて武田氏の城になり、武田氏が田中城に名前を変えたみたいです。
名付け親は武田信玄?であってほしいですね。
田中城に有名なあの人達が宿泊していた?
まさかこんな有名人が宿泊していたなんて知りませんでした。
それは皆さんご存知この方々です!
武田信玄
正月に徳一色城(戸久一色城)を攻め落とした際に、3月まで約2ヶ月田中城に宿泊しました。
織田信長
武田史滅亡を確認後、織田信長は甲府から安土城に帰る際に1泊しました。
1泊だけかぁ〜せっかちだなぁ〜。
豊臣秀吉
小田原北条氏を討伐に向かう途中に宿泊。
徳川家康
駿府城修築の際に、4ヶ月ほど滞在しました。
藤枝に鷹狩りに来るたびに田中城に宿泊していたそうです。
病気で亡くなる前に、駿府城で鯛の天ぷらを食べて、その後藤枝に鷹狩りに行きました。
そして、田中城に宿泊して就寝中に腹痛が起こり、これがきっかけで病に臥し、駿府城でなくなりました。
何が残ってるの?
実際に今でも残っているのは、ニ之堀、三之堀、土塁、池、城の形状が残っています。
ニ之堀
今現在、本丸跡地には小学校が建っています。
小学校の正門近くにニノ堀の一部が残っています。
三之堀
今現在は、中学校の隣に一部だけ残っています。
それと、土塁も一部残っていて、土塁に登り見学する事もできます。
三の丸土塁
当時の高さは、約4.8mあったそうで今現在は、約3.7mだそうです。
このあたりは、家老クラスの屋敷地があった場所とされています。
城の形状
田中城は、円形の城です。
別名「亀城」や「亀甲城」と呼ばれていました。
田中城跡周辺を歩いていると、円の形になっているのがわかります。
住宅街になってますが、かなりわかりますよ!
姥ヶ池
池の形から別名「ひょうたん池」とも呼ばれていました。
江戸時代には、田中城の上水として利用され、見張りまでつけていたほど大事な水源でした。
この他にも実物は残っていませんが、木札が建てられていて、どこに何があったのかわかるようになっています。
【徳川家康の別荘】田中城跡(徳一色城)のオススメ情報をご紹介!!(まとめ)
元の名前は、徳一色城(戸久一色城)でしたが武田氏により田中城と命名されました!
そして、三重の堀の原形を作り、徳川の時代の酒井忠利が拡張工事により、四重の堀を作り田中城が完成しました!
有名な武将の武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が宿泊した田中城!!
ほんとにすごいですねぇ〜!
今でもお堀や土塁、池などが残っています。
是非、歩いて散策してみて下さい!
田中城の別名「亀城」と呼ばれている訳がわかりますよ!!